強烈な助言が脳天を貫いた
こんばんは。代表の井手です。
最近、私のメンターの方から強烈なアドバイスをいただいた。それはタイトルの通り「最後は自分で決めなよ」ってことです。優秀なコンサルタント、メンターから素晴らしい事業アイデア、事業計画・展望の助言をもらったとしても実行するのは当の本人であること。「これはいいよ、あれしたらうまくいきそうだよね。」。そこには、新たな気づきやワクワクドキドキするという感情の乱高下が存在する。でもその先の行動が伴わなければ何も意味をなさない。
「やる!」と「やれ!」は違う
前者の「やる!」は自分の志に基づいて自発的に実施することである。後者の「やれ!」は自分の志・気持ちに反し、無理やり自分を奮い立たせ行動することを意味する。時と場合により、この二つのワードを行ったり来たりする時期がある。最初は「やれ!」だったものが「やる!」に変わったり。その逆も然り。振り返ると創業初期は「やれ!」が多かったように思う。「試しにこれやってみたらどうか?」→「あっ、うまくいった!」。つまり全部やることが初めての状態で行動すると「不安」、「緊張」が必ず付きまとう。そして、この感情を抱いた状態のまま行動し「うまくいった」場合、それは「喜び」に変わる。この感情の格差を繰り返すと「感情のゲシュタルト崩壊」が起こる。
しかし、創業から半年たった今、全て自分の志からくる「やる!」という自発的行動でしか進めないことに気づいた(気づかせていただいた)。
小さくても大きくてもいい、まずは人生のゴールを決める
例えば、一般論で言うと「俺は上場するんだ!金持ちになるんだ!社会に変革をもたらすんだ!」っていう大きなゴールを持つ人もいる。その一方で、現状のままで良いと言う人もいる。
何が言いたいかというと、
①人生のゴールは人それぞれであり、それを否定してはいけない。
②その人それぞれの生き方、ゴール、成功がある。
人生の着地点を決める
となると、私のゴールって何?って話になる。正直なところをいうと私は、「昨日と同じ明日」、「今年と同じ来年を過ごしたくない」から起業という選択をした。
「したつもりだった」というのが正解かもしれない。別に私が起業してもしなくても多くの人には関係ない話だ。起業しなくても幸せな人生はいくらでも生まれる。だったらなぜお前は事業を「やるの?」「やってんの?」って話になる。
仮に「別にもうしなくてもいいんじゃない?」と言われ「はい、そうですよね」となった瞬間、廃業届だして終わりなんだと思う。それを否定してはいけない。
正直、結構悩んだ。でも悩んでもやっぱり悩み続ける。
そのとき考え思い出したことは、起業する前と後でどれくらい自分の人生の幅が広がったかということだ。絶対会えないような人と出逢えたり、喜びや感動を手にしている。その背景には「行動」したという自信だけが残っている。事業が拡大するにつれ、これで本当にいいのか?無理していないか?という瞬間がやってくる。でも、やっぱりその先の世界を知りたい自分がいる。
人生の着地点は、うっすら直感的に見えてる。多分、今以上に多くのものを失っているのは事実。失うことでその隙間を埋めるかのように新たなものが入ってくるイメージ。
最後は自分で決める
感情論の話ばかりが好きな私なんですが、でも感情以外何もないんじゃないと思う。物を買うのも感情論だし。
いろんな生き方がある。いろんな人がいる。
で、私はどうするの?
さらなる感動を求めて仕事します、笑。